弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

代々木公園の微熱

手先も足先も冷たい、と気づいたら最後。デスクトップから目を離したとたんに脳みそが揺れて、「あ、あかんやつや」と立ち上がったらもっと揺れた。寝ればいいのに、猛烈に「温まらなくあ!」と思ってお湯にお湯を溜める。案の定、湯船に浸かったらあっというまにのぼせて、「あかんあかん」ってバスタオル巻いてお布団に潜った。

確定申告のために領収書やらを計算して、帳簿つけて、あれこれ入力してるうちにどんどん血の気が引いていった。貧血?  前もこういうことあったよなあ。ちょっと不安になって夫に電話すると「ああ、集中しすぎるとついなるよね、大丈夫だよ」となだめられて、まあそんなもんなのかあ、と目を閉じた。

あっさり寝てたようで、小一時間くらい横になったら全身に血が行き交ってるのがわかるくらいポカポカする。寝室の窓は東向きだから、もう薄暗い。細長い3段ケーキみたいな頭をしたドコモタワーの紫色のライトが、薄水色の空に溶けて、赤ちゃんのお包みみたいなやさしい色。

メールを開いたら、新著を出す友人から「ちょっと原稿読んでくれない?」と相談。自分の原稿を読んでもらうのはいつまで経っても慣れないけど、仕事と関係のない人様の原稿を読むのは気が楽。気合の入った序文を読んで、ちょっとだけ提案させてもらった。喜んでくれたみたいでよかった。数字計算で貧血を起こしたポンコツな午後と、1日の帳尻を合わせられた気がする。

どうも1日中天気がよかったみたいで、惜しくなって自転車を漕いだ。いつもの代々木八幡〜松濤コース。丸善&ジュンク堂でパラパラ立ち読みして、宇田川のブックオフにも寄った。SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERSまで引き返したけど、どうも頭が回ってない。1時間くらいうろうろして、NHK沿いを参宮橋方面へと走る。

代々木公園の交番前交差点を超えたあたりで、空気がピタッと肌に吸い付いた。一段冷える。かすかに土の香り。西門前の信号は、気が利いていて、人の気配を感じるとさっと青くなる。S字カーブの緩やかな登り坂に向かって立ち漕ぎすると、湿った甘い香りが、風のなかを羽衣のように流れていく。

夜の公園に白い梅がうっすらと浮き上がって、近づくと下の方は枯れていた。鼻を近づけても匂わない。だけど離れると確かに香る。すっかり誘惑されて、しばらく自転車をぐるぐるさせながら、なんども香りをむさぼった。汗ばんできて、やっとこさ血が巡ってきた。

ああ、初めからここにくればよかったのかもしれない。代々木に住んだばかりのころ、近所にこれほど広い土があることがもううれしくて、毎朝毎晩、サイクリングをした。あっちは新宿、こっちが渋谷で向こうが原宿。都会だけど一番緑の多いエリア。でも住んだときから、ここが最後の場所だってわかってた。

表参道側へ走ると、うんと遠くで救急車のサイレンが湧いて消える。都会の騒音がケタケタ音をたて、波のように押し寄せる気配を、木々が遮る。けやきの枝がまっすぐと、白い夜空にのびて、青いシリウスをさす。「都会は星が見えない」なんてうそ。見ようとしてないだけ、冬は案外オリオン座も見える、だけどもう春だな、ちょっと煙ってきたな。

噴水広場を横切って、バードサンクチュアリへ。おそらくここの池は、明治神宮の、有料でしか入れない御苑の池の水を引いているんだと思う。そもそもあの御苑のなかは一段風の密度が濃いのだけど、そこからの空気があふれ出すようにバードサンクチュアリを包んでいて、立っているだけで結構気持ちがよくてお気に入り、、、

と思ってきてみたら、なんと工事中。黄色と黒のバリケードが張り巡らされていて、ただでさえ薄暗くて様子がよくわからない。桜を移植したり新しい木を植えたりするんだって。もう最後の挨拶になるかなあと立ち寄ってみたら、知らんぷりって感じだった。わかってるんだけど、時間って経っていくんだな。地元で、季節の節目に見かけるお葬式と、公園が改築されるサイクルは、どっちが時間として正しいんだろう。

代々木公園から見る表参道の気配が好きで、代々木体育館とか、交差点のあたりがキラキラしてるのを、自転車を止めてじっとみた。バブル真っ盛りのころ、父と母は千駄ヶ谷のプールで出会った。母は表参道に、父は代々木に住んでいて、そのあと奈良の山奥へ移住した。奇しくも、似たようなルートを辿っている私のことを、母は自分の若いころに重ねてみている。

確かにここはなんだか懐かしい。この地を撫でる風に、どうしようもなく若さに翻弄されたであろう父と母の微熱が、今も漂う気がする。その引力はほとんど恋に近い。生きていく勘のようなものはいつだって、熱を帯びてる。

それはそれでロマンチックじゃん、という感性は、先を行ってるつもりの親にはいまいち伝わらない。命は、更新するものなのに。

数字が得意でなくて、血の気が引きやすい体質はたぶん父に似たんだろうけど、都会生活と自然と神域とのはざまで駆け抜けて、たどり着いた代々木の杜によって、関西へ送り出されるのは、因果じゃなくて、血なんだよね。そのぶつかり合いで生まれた私がこうして代々木公園で夜更けにチャリこいでる。過去も未来も串刺しにして。

直感は、土と血と空を一つにつなぐ。だから私は、人生に確信がある。