弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

2018-01-01から1年間の記事一覧

「なんかしんどい」を解消するために

この頃、友人らからくる相談事を聞くにつれ、いつも私は同じことを答えてるなあ、とハタと気づいた。それはとにかく、これ以上「考えること」をやめて、今の環境(会社、家、友人コミュニティ)で癒着しすぎた身体を、一旦ベリベリ剥がして他所に移し、0に…

おおおおい読書って旅くらいおもろいやんけ

ああ、だから私は熊野が本当に好きなんだなあ。京都に住む時真っ先に思ったのは、どうも京都から山々を見る時、あの向こうに吉野があって、熊野があってと想像を掻き立てられ胸が痺れるのがたまらんという、切なさを味わうためにここに住むことを選んだのも…

カウンターの終わり

知恩院。京都の紅葉はまだまだ続く 今思えば、登山のほとんどは都会に住んでいることへの反動だった。アウトドアカルチャー自体がカウンターカルチャーではあるのだけど、そういう思想を超えて、もっと身体から「ここにはないもの」を求めていった感じがあっ…

我が家のブーム「南無三」

ここ半年くらい我が家でブームの「南無三(なむさん)」。 見つめあったまま空中でギョロ目グワ口になるとめっちゃおもろいのだわ。 毎回笑いすぎて息吸うの忘れる。 超お試しあれ。

あーひと段落したーのしごとの話

丸一ヶ月ほどかかりきりでガリガリまとめてた原稿が、編集者の元へ飛んでいった。来年に発売予定の、IT批評家の尾原和啓氏の新著。夏から秋にかけて、編集者さんと共に尾原さんから聞いたお話を、一冊の本にまとめるお仕事。この後編集さんや尾原さんが手を…

和太鼓が響く身体

母は私を身ごもるまで、毎日同じ山を登るような人だった。だから、私が母になんども聞かされた父の愚痴は「私が身ごもってる間、1人でせっせと山に登ってた。私だって登りたかったのに」というちょっと笑えるものだった。それは西海岸からやってきた今のアウ…

嘘みたいな笑顔

温泉から上がって休憩所でぼうっとしていたら、タオルをどこかに忘れていたことに気づいた。脱衣所にもないので、お掃除をしていたおばさんに「ここにタオルなかったですか」と聞くと、「ないね」と一言。 振り返るおばさんは肌が白くて、ちょっと赤裸顔で、…

米津玄師ライブでジブリ鈴木さんが一番ノッてた曲

米津玄師幕張ライブの初日へ、ジブリの鈴木敏夫さんたちと一緒に参加させてもらいました。私の隣がジブリ田居さん(すごい美人で60代なんだけど全く見えない)で、その隣が鈴木さんだったので、ちょうどステージを観ると、2人の様子が被って見える状態でした…

神の嫁

なんかしらん、これが類友現象なのか、自分と似たような人が周りに多い。感じやすくて、人が感知しないところまでわかったり聞こえたり見えたりして、たまにすごく疲れる。1人の時間がないとだめ。 人に合わせるのが苦手。人混みに行くと死ぬ。たまに自分の…

夫の虫嫌い克服と、鈴木敏夫インタビュー

新潟の実家についたら、母じゃなくてカメムシに出迎えられた。今年は寒冬なんだろうか、例年よりカメムシが多いらしい。ほっておくとそこらへんで臭くなるので(あれをパクチーと例える人がいるけど全然違うと思う)、見つけ次第ティッシュでくるんで、窓を…

落ち込んだ時の処方箋

体調万全だとエロい夢を見がちなのだけど、要するに体調や体温と性欲には深い関係があるんだろうな。今日、イルカと泳ぐ夢を見た。夢の中で、私はなぜかホノルルみたいな海の、都市型ビーチサイドのプールにいて、ロコみたいな外国人の色黒の男(夢でも現実…

ハクはどこに帰るのか

夫が何やらテーブルと椅子を動かしているので目をやると、「なんかジブリ見たいねん」と言いながらMY劇場をリビングに作っている。付き合いたての頃ジブリで働いていた夫は、何気無く入った店で「となりのトトロ」が流れているだけでさっと出て行ったりして…

「うちの子なんて」が産む「私なんて」とかいう文化

ちょっと前、親友と電話していた時のことだった。彼女はふっと思い出したように、小学生の頃のことを話しだした。絵画コンクールで賞をとって、作品が廊下に貼り出された。彼女はそれが誇らしく、授業参観の日、胸を張って母に見せた。その時、同級生のお母…

奥さん、心の少年は元気ですか

中秋の名月、伊勢から帰宅して下鴨神社の管絃祭を観た後、出張の夫を駅まで送る。慣れない運転に疲れてうとうとしながらキッチンを掃除していると、東京のしゅさんからLINE。お腹の子はいつ産まれてもいい時期らしい。なんとなくチャットが始まる。お互いの…

伊勢に通って10年経って 愛してやまない鳥羽の海

伊勢の内宮 宇治橋 ハワイから京都に帰ってきたとき、バス停を降りてすぐに、ヒノキの香りがした。夜風に混じって、どこかへ誘うように。夫も「京都ってこんな匂いだったんだ」と口にする。近くの神社から香るのか。それにしても、こんなに強い香りを、生活…

災害と人 ハワイ島にて

このはちみつボトルが夫そっくりで私とろける ハワイ島、一週間の滞在を経て、最後の朝。朝食をとりにダイニングへ行くと、昨夜無くしたイヤリングを、宿主のモーリーンが見つけてくれていた。レンタカーの下に落ちていたらしい。 朝食はワッフルかパンケー…

ウミガメの目に見たもの ハワイ島にて

モーリーンちのニャー レンタカーの前でいつも寝てた 胸の真ん中に詰まりがあるのに気づいたのは、昨年の12月ごろ、伊勢を旅している時だった。それははっきりと痛みを伴うものではなく、もっと深くに沈んでいるものだったから、最初はぼんやりしていた。 と…

ハワイ島と、怒り

サンセットの残り火を眺めるわたくし 3日間の睡眠不足を経てハワイ島(ビッグアイランド)へやってきた。ホノルルからハワイ島・ヒロへの乗り継ぎ便のなかで、キラウエアと、マウナケアらしき山体を見た。夫は隣でぐっすり眠っていたけど、二つの山の頭を見…

台風と京都と、日がさす糺の森

台風が近づく前日あたりから妙に浮遊感があって、いつものカフェでPCを開いてもどうにも落ち着かない。集中力が途切れるばかりで、結局すぐに帰宅した。翌日も朝からぼんやりした感じがあって、低気圧のせいだろうか、なぜだか早く起きてしまった。 この日は…

地元と母とフジロック

夏が終わった。もうどこからどこまでが正常で異常な気象なのかもよくわからなくなってきたけど、今朝起きたら涼しくて、ちょっとお腹を冷やしてしまったくらいなので、とりあえず秋はちゃんとくるみたい、とホッとした。 今年の夏は、多くを新潟の実家で涼し…

愛を産む身体〜キャンプ死闘の夜に〜

とっても素敵なキャンプライフの始まり、2018年の夏。糸魚川の高浪キャンプ場にて、山岳テントでデビューして、三条のスノーピークにて、思い切って買っちゃいました。ランドロックというリビング付き寝室ありの大きなテント。それを買った帰り、私も夫も、…

朝のさんぽ

帰省中の朝。 朝、最初に起きるのは母。7時には着替えて職場へ行き、「自分でやるから」と言ってるのに私と夫ぶんの朝食が用意されている。母の「習慣」に「ついで」が重なり、こうしてなんでもないことのように巻かれ、白い皿に並べられている卵焼き。母は…

鈴木さんに送った「南の国のカンヤダ」感想

ジブリP鈴木敏夫さんの初のノンフィクション小説、タイ人シングルマザー・カンヤダさんを描いた「南の国のカンヤダ(鈴木敏夫/小学館)」。すごく楽しみにしてて、早速買って一気に読んで、夜中、感想を鈴木さんにLINEで送った。「(感想読んで)彼女につい…

バッタと猛獣ぽこ

風呂場にバッタがいた。近づいてみるとソーダー水みたいに透き通った体躯で、手足を6本、折り紙みたいに曲げてじっとしている。米粒型の頭から、髪の毛ほどの太さの触覚が3センチほど、2本、アーチ状に伸びていて、先っぽがまとまっている。ちょうど楕円…

雪国の夏

魚沼もまた例年より暑い。ニュースでは今年の田んぼの水温は10度も上がっていて、新米コシヒカリの値が上がりそうだといっていた。 それでも雪国の夏は短い。昨晩布団に入った時、母が「もうお盆になれば風が秋みたいになる」と言った。昼も夜も絶え間なくキ…

オフライン、夏

夏になると、暑さに弱いうさぎのぽこを新潟・魚沼の実家に預ける。んだけど今年の京都の暑さは異常らしく、クーラーなしで寝られない状況に心が折れて予定を早め、一家で避難することにした。 まずは東京を目指した。南阿佐ヶ谷の「らびっとわあるど」にてぽ…

宮崎駿とスマートフォン

スマホをガラケーに変えてから2年になる。ガラケーにしたらますます持ち歩かなくなってしまって、道に迷えば「Googleマップって便利だよなあ」と思うし、夫と連絡が取れないときは「やっぱちゃんと持ち歩かないとなあ」と思う。なんだけど、道に迷ったら人に…

登山は引きこもってキスしてるみたいなもん

このところ、大河ドラマの「太平記」に夢中。1991年に放送されてたもので、主演が若き日の真田広之(足利尊氏)、あと宮沢りえとかショーケンとか、武田鉄矢(楠木正成)とか、今見るととても豪華。 なんで太平記か? 京都に住んでみて、改めて見えてくる奈…

鴨川が日常に戻っていく朝に

増水した日、お気に入りのカフェで 京都に晴れ間が戻った日、鴨川の濁流はあっさりなりを潜め、河川敷へ立ち入り禁止のテープを夏の太陽が揺らしている。それを人々がまたいでいき、ジョギングをしたり、犬の散歩をしたりして、昨日まで川に浸かっていた河川…

鈴木敏夫と熱風と、米津玄師

スタジオジブリの出版部にて、「熱風」制作の編集兼ライターとして参加させてもらうことになったのは2014年の春だった。かなり後になって、鈴木さんが推してくださったのを人づてに知った。その頃には、鈴木さんのご家族と同じマンションに夫の譲とともに住…