弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

神の嫁

なんかしらん、これが類友現象なのか、自分と似たような人が周りに多い。感じやすくて、人が感知しないところまでわかったり聞こえたり見えたりして、たまにすごく疲れる。1人の時間がないとだめ。

 

人に合わせるのが苦手。人混みに行くと死ぬ。たまに自分のことがよくわからない。なんだけど、何かを形にしている時だけ、表現してるときだけ、自分の輪郭に、中身がピタッとハマったみたいになる。今晩の夕食でも書き物でも刺繍でも土いじりでも、踊るときでも。身体を動かしてると、影と実体が一つになる。それでいて、一つになっている間の記憶がない。

 

強いて言えば、その時の自分はちょっとだけ、自分じゃないような気がする。時々思う、この身体ってただの容れ物かもしれない。でも入れてる時、なんかすごく気持ちいい。あの無心になる時間をやめられない。

 

高校からの親友の彩子は、20代のほとんどを盆踊りに捧げた。夏になると、古着屋で買った浴衣を携えて全国の盆踊りを巡る。そもそも盆踊りって巡るものなんだ、と聞くと、一度輪になって踊れば、もう何度でも踊りたくなるものらしい。それだけじゃ飽き足らず、阿波踊りの連にも入った。

 

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高円寺の阿波踊り(一番右が大谷彩子)

 

あるとき、2人で一緒に旅をした伊勢で、踊ることの何がいいのか彩子に聞いた。彼女は海を見ながら「踊る時、我を忘れてる。その間、自分のなかに、不思議なものが出たり入ったりした気がする」、と笑う。「弥恵ならわかるっぽい話」とニヤリとされて、「ああ。登山でもあるやつ」と頷いた。

「一切の孤独とかさみしさとか消えて、自分の身体がすごく大きくなる感覚と、ものすごくちっぽけになる感覚が、同時にくるやつでしょ」と言うと、「あーわかる」と彼女。目に見えないものと、体内でセッションしてるような。分かり合える人は、1人でもいればいいと思ってたけど、案外いっぱいいるかもしれないと思えるこのごろ。

 

新潟の祖父が亡くなって、彼女は空き家になった家を継いだ。すぐに住めるわけじゃない。仕事も住まいも東京にある。だけど、初めて居場所ができたような気がした。それはずっと前から決まっていたような気もする。南魚沼の、みずみずしい田んぼに囲まれ、巻機山も八海山も見える。別天地だ。畑もある。早速手入れをしていくうちに、見かねたご近所さんが野菜の作り方を教えてくれた。東京のアパートは、家賃を抑えるためにシェアすることにした。浮いた分のお金で、高速バスで、新潟とを行き来する日々が始まった。

 

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ねぎ

祖父の家には大きな神棚がある。ご先祖様は、近所の神社の神官でもあった。白装束に烏帽子をかぶった遺影が飾られている。彼女は思いついて、その神社へ行った。こんもりした森の中、その境内に立ってみて思った。ここの盆踊りはどんなだろう。早速調べてみると、20年前から祭りが止まったままだった。やるべきことが見つかった。

 

彼女は、これまでの盆踊り人生を形にしようと思った。なぜ今、こんな田舎の盆踊りを? 東京もんになったあんたが、こっちに帰ってくるでも無しに? それをして何する? 何になる? 思った以上に強い向かい風が吹く中、東京と新潟を何度も行き来した。調整に調整を重ね、地道にビラを配り、少しずつ輪を作って、地元のおばあちゃんに踊りを習って、小学校へ踊りを教えに行ったりもした。仲間が少しずつ増えていった。

 

やがて今年の9月8日、地元の盆踊りを20年ぶりに復活させた。題して<糸と糸盆踊り>。当日の予報は雨だったので、前日のうちに会場を小学校の体育館へ移した。どんどん膨らむ輪の中で、ひたすら踊った。すると日が射して、体育館から空を見上げるとすっかり晴れていた。

 

ほら、神さんは喜んでる。別に見えるわけでも、聞こえるわけでもない。そういうことはよくわからない。なのに身体は識っていた。

 

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画像は糸と糸実行委員会より

晴れていたおかげで、みんなが集まった。踊ってる間はずっと晴れていて、終わるとまた、幕を閉じるように雨が降った。あの神社の祭神は、龍の神様だった。

 

私は、彩子が盆踊りの復活のため奔走する一部始終を、電話で、じいちゃんちで、車の中で聞きながら、高校生のころから、いつも見てきた同じ顔が、神の嫁になっていく気がした。

 

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じいちゃんちの台所にて

 

そういう時代が来たんだ、と思う。この秋は一つの節目。終わりと始まりの秋。息苦しいこともあった。だけど、ここからが本番らしい。あとはいっぱい笑って泣いて、ただただ形にしていくだけ。

 

 

 

糸と糸盆踊り実行委員会