弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

17回目の引越し

いろんなこと忘れて生きてる、と思う。つい最近引越しをして、積み上げられた段ボールを見ていたら、ものすごい既視感に襲われた。はていったいこれまで何度引っ越しをしたんだろうと指折り数えたら17回。一人暮らししてる間に実家が移動した数を加えたら20回くらい? なんでか3年くらいたつと、ひとところにいること自体が落ち着かなくなる。一方で、体は急激な環境の変化を嫌って重たくなる。

 

自分の座標をずらしたくなってくる感覚は、季節の移り変わりにも似ている。といっても、今回の引越しは単に部屋が手狭になってきたことが主な理由だったくらいで、他になんの不満もなかった。

 

ただ、より広い部屋への憧れはあった。京都へ引っ越してきて以来、自分がより好きな環境がどんなものか、何度も足を運んだカフェの立地や旅先で予約しがちな旅館のたたずまい、そういった好みを羅列していくことで、「つまりはこういう場所に住みたいのだ。そしてこういうことがしたいのだ」と言葉に置き換える作業がちょうど一周したころだった。

 

ある日の朝方、夫との散歩中に「そう、つまりはこのマンションのあの階のあの部屋がいいの」と指差したその部屋には、ピンク色のカーテンがなびいてた。あまり立地を描写すると住所の特定が簡単な場所なので控えるとして、とにかくわたしの好みも希望もすべてが揃った物件だった。とにかく好立地。いまの家も好立地だがさらにさらに好立地(わたし的に)。

 

「でもあの部屋には人が住んでるね」

 

そういう夫に「空いたら住んでみたい?」と聞くと、「そりゃあの部屋なら最高だよ」という。家賃は今より上がるし、移動にはそれなりのリスクもあるけど、それ以上に素敵な未来が待っていると思った。

 

よし、話は決まりだ。わたしはさっそく、いつもの神社へ行った。そして宣言した。

 

わたしはあの部屋に住んで、こういうことをして、こうなります。

 

と。お願いではない。宣言である。なんでかこのとき、「たぶんわたしがこうすると決めたら、あの部屋は空くだろう」というポジティブというよりはほとんどチンピラみたいな思考が働いていた。でもそれくらい自然にみえてたのである。あの部屋であんなことやこんなことをしている自分の姿が。あとは決めるだけでいいのだ。腹を。

 

翌日、いつものように夫と散歩しながら、「なんか空いてる気がする」「まさかあ」と話しながらそのマンションへ歩いて行った。昨日の今日である。さすがのわたしも「いきなり空いてたらすごいな」くらいは思ってた。そしたら案の定、その部屋は空いてたのだ。昨日きたときは確かにピンクのカーテンがかかってた。でも今はカーテンそのものがかかっていない。念のためあらゆる角度から確認したが、明らかにもぬけのからである。

 

さっそく不動産に連絡すると、びっくりされた。

 

「えっと。。。昨夜空いたばかりの部屋で、まだ中も掃除されてませんし、家賃も決まってないんですが。。。というか、どこで空いたこと知ったんですか?」

 

早速内見させてもらうと、想像通りの部屋だった。日当たりよし、眺めよし、静かで、広い。上京以来、もっとも広い部屋だ。夫も満足。

 

「いやあ、ウン10年この仕事してますけど、この立地のなかでこの眺めの部屋があいたのって初めてですよ。。。」と、ふくよかな笑顔でぴっかり笑う不動産やさん。

 

家賃はちょい強気に交渉して、あっさり契約はすんだ。

 

今その部屋でこれを書いている。引越してそろそろ一週間。まだ慣れない。わたしはすっかり忘れていた。昔からそうなのだが、わたしは引っ越すとしばらく“引越し酔い”になる。体が環境に慣れずにびっくりして、目がまわったみたいになる。でも同時に、経験ですぐ慣れることも知ってる。つまり、あらゆることを忘れて生きている自分の心と体をよく知ってる。

 

いつもの神社には、改めての挨拶にお酒とおまんじゅうをお供えした。そういえば、京都で初めて住んだ家も、この神社で「わたし、この辺の子になります!」宣言した直後に見つけたのだった。ここの神さんとはよく話をする。こないだは初めて喧嘩もした。つまりわたしはここの神さんが好きなのだ。無性に。なぜだかよくわからない。

 

というか、その理由を忘れて生きてるから、いまここにいるという気がするのだ。

 

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