弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

夫を食べたい

先日、夫と徳島を旅した。淡路島から徳島市へと慣れない道を運転した夫は終始ピリピリしていて、だんだんそれに感化された私もイライラして、途中で入ったスーパーマーケットで大げんかをした。口で勝てなくなると夫は私を小突いてくる。それを「暴力だ暴力だ」と私が騒ぐ。買い物客が振り向く。我ながらタチの悪いチンピラ。これにたまらなくなった夫。エスカレーターから見下ろして「こっから突き落とすぞ」と脅してくる。口先に慣れがない、全然似合わない。ばっかじゃないの、「やれるもんならやってみろよ小心者が」「クソが」「死ね」もう本当にくだらないんだけど、その瞬間は心から「シネ」って思ってるし、湯だった脳みそフルスロットルで「くだらねえまじで離婚してやる」って考えてる。私がいなくなったら死ぬくせに。

結局、その日は眠りにつくまでどっかピリピリしていた。宿泊先は神山。部屋からは眼下に鮎喰川が流れる。食事を作ってくれたお兄さんと話をして部屋に戻ると、夫は先に寝ている。こぐまみたいにスヤスヤと。焼いて煮てしまいたい。この寝顔に強烈なパンチをお見舞いしたらさぞスッキリするだろうなあ。布団を勢いよく剥がし、「ひえ」っと怯んだ夫の頭を掴んで、ふわふわの頰をビンタしまくって泣くまでやめない。泣きながら「ごめえん」と謝る夫。なんて、妄想の中でフルボッコにする。謝ればいいんだよ謝れば。私にひれ伏せばいいんだよ。なのに何歯向かってきてんだよ。まじで生意気。いつも思う。こいつ生意気。私がいないと死ぬくせに。電気のスイッチを入れる。夫が眩しそうに寝返りを打つ。ケツを蹴り飛ばしてやりたいのと、揉みしだいて顔を埋めたいのと、もう愛おしいのか憎らしいのかよくわからない。パジャマからはみ出たケツが割れてる。夫の体で一番好きなのはお尻のライン。しばし美尻に見惚れ、デジカメを取り出し、カシャっと一枚。この美尻は私が守らねばならない。ていうか、夫を傷つける奴全員殺す。これ毎日本気で思ってる。昔、夫が中学生時代に住んでいたところを通りかかったとき、ふと「このへんでカツアゲされたんだ」って漏らした。私は立ち止まって、夫をきつく抱きしめた。そんで脳内で、カツアゲした奴の今世を全力で呪い、ナイフで八つ裂きにした。泣いて謝っても許さない。後悔したままあの世へ行けばいい。そのときも思った。この人絶対守る。この人傷つけるやつ殺す。傷つけていいのは私だけ。

昔、夫への文句なのか嫉妬なのか、本人ではなく、私にチクリと言ってくる人がいた。悪気なくて無自覚。あと、別に夫や私と仲良くもないのにいきなりいじってくる人もいた。そういうときの対応は分けてる。私は、自分の輪の内側と外側を明確に線引きしている。内側の人には、ちゃんと怒る。それは失礼じゃない? なんで私にいうの? それ、私が一番傷つくんだけど(ていうか、それを私に言ってきたその心ちゃんと見てよ自分で。人のパートナーになんか言う時って大抵すり替えだよ)。「ちゃんと言う」のは、自分なりにそれが私の最大NGだということを伝えたいから。だってあなたとこれからも付き合いを続けたいから。それくらいは好きだから。これが不思議なことに、内側にいる人で、「私と同じように夫に愛情を持ってくれている人」なら、怒りも湧いてこない。例えば鈴木家では夫はいじられ放題だけど、なんにも嫌じゃない。だって深い信頼があるから。そうなんだよな、私は夫へ愛情を持ってくれる人がすごく好きだ。その愛情もないのにいじるって意味わかんない。愛情のあるなしって見ててわかる。だもんで、外側の人にやられたら忘れるために離れたいなーさよならーってなる。まあ距離感関係なく人を軽んじる文化なんだろうなとか、頭では理解できるんですけどね。心がついてきませんことは、どうにも無理ですね。

 

さて翌朝。この日は剣山を登って上で一泊することになってる。だけど一度寝てみたら、なぜ夫がピリピリしていたのか、私もイライラしていたのかがわかった。そもそも徳島へきた理由は、ちょっとした引っ越しストレスを解消させるためだった。毎日楽しくて、特に問題はない。だけどまだまだ不慣れな環境で、静かな緊張によって降り積もる疲れ。住宅地に住んでいると、なぜだか責任を感じてくる。住人としての責任。まだ何も起きてないのに、なんかびびってしまう。あーなんか無責任な旅がしたい。そこに私がいない旅。そのために徳島はうってつけだ。いったことがない場所。だけど、私と夫にとって、徳島はずっと行ってみたかった、特別な場所だった。鳴門大橋をわたる時、カーステレオの音量をあげた。

♪真昼の海に浮かんだ 漁火と似た炎に 安らかであれやと 祈りを送りながら 

私は私を一切消し去った。ああ、なんて気持ちいいんだろう。海。私がいない海。私を知らない海。だけど私はこの海が切なくて嫌い。そう思ってるのは私じゃない。私はそういう旅が好きだ。

 

そんな解放感の傍、夫は慣れない道を運転してる。実は夫は、運転がそれほど好きではない。だけどこうして「弥恵ちゃんは楽しんでていいよ」ってな感じで私を解放していてくれる。どこかちょっと無理もしてる。いやそれ以前に、仕事もしてるのだ。それなのに「どっか行きたい!」と爆発したのは私だったのだ。現実逃避を加速させる私の横で、夫は度々スマホを取り出してメールの確認。その仕草によって現実に引き戻される感じがたまらなく、仕事だっつうのに文句を浴びせてしまう。生理的に嫌だと、前後がわからなくなる事が度々ある。ごめん夫。今思えば、あれは私が悪かったんじゃないか? 君は相当追い詰められてたのでは?

 

剣山へ向かう車内で、なんとなくいつもの日常を取り戻した私たち。結局、2人とも疲れていたんだね、なんてのんびり話していると、「いや、弥恵ちゃんはいっぱい山登ってるけど、俺はテント担いで登るのってほとんど初めてだから。本当はちょっと緊張してたんだよね」と笑う。えええ超ごめん!言ってよ!「なんか一晩寝たら、山のぼりたいけどちょっと怖かったの、やっとわかった。それもあってピリピリしてたみたい。ごめんね」。夫の無防備なほっぺを吸い尽くさんとチューを浴びせる。「危ないよ運転中だよ」本当に可愛いな!!くそ!!

 

登り始めてしばらくすると、夫はここ数年、運動をするようになって、登山の体力がついてきているのを実感したのか、だんだんと顔がキラキラしてきた。よほど登ることに緊張していたらしい。多分それ、私のせい。ごめんよ。人にものを教えるのってすごい苦手なんだよ。なんで私にできるのにできないのって思うのよ。登山連れて行くたび、私口うるさかったもんなあ。だけど君は私にテニスを教えてくれるとき、すっごく優しいよね。何度玉をどっかにやっても、笑顔でそれを取りに行って、また打ってくれるよね。君がお釈迦なら私は猿だよ。

 

2時間登りつめて、剣山登頂もそこそこに隣のピーク・一ノ森へ向かう。あらまなんて綺麗な稜線。夫ときゃっきゃしながら写真を撮り合う。「先に歩いていいよ」と促すと、背中から、夫の嬉しさとか感動がどんどん伝わって、後ろからひょいとつまんで食べたくなる。頭から足まで飲み干したい。

 

夕暮れ、夫がテントを出て夕日をみようと誘う。テント場から5分くらい登ると、一ノ森山頂。太陽は線香花火みたいに、今にも西の稜線の向こうへ落っこちそうだ。私たちの他にもカップルがいて、2人きりになりたくて、昼間のうちに見つけたスポットへ急ぐ。「俺のお気に入りスポットから夕日をみるねん」と駆けていく夫。だけど、たどり着いたときにはもう時間切れだった。もう一度山頂へ戻る。太陽は海の底に沈んで、その残り火だけが空に広がる、東の方を振り返ると、重なる稜線の向こうに徳島市の白い明かりが見えて、その向こうはぼんやりと海だった。あとは空。宇宙が近い、顔をあげていると、「きた!」と夫。一番星を探していたらしい。剣山山頂の真上に、空を引っ掻いたような三日月、ピアスみたいな星が一つ。いつもなら、夕暮れを見たあとはとっととテントに帰るのだけど、夫は日暮れから星空になるまでずっと見ていたいと言う。そういう時間を思いつく夫がすごく好き、と伝えると、くる前からそうしたいと思っていたらしい。「弥恵ちゃんと一緒にジーと見てたかった」。アウトドア慣れすると、かえって方法論に縛られて、こういう余白を忘れてしまうのか。

 

空が広くて、心もとなくて、歌を歌う。 

♫LALAHAHA 遠い星を数えて スカートの砂払う 三日月が照らしてる 2人を

剣山のシルエットをじっと見ながら大声で歌っていたら、ふと誰かと目が合った。途端に胸のあたりがすうっと開いて、涙がごっそり湧いてきた。懐かしい懐かしい懐かしい帰りたい帰りたい帰りたいそっちに行きたい。空月星山。私。私の本当はどっちなのですか、どうしてこんなに胸が切なくて、泣くことでしか痛みを緩和できないのですか、私の体はいつもどうしてこうなのですか。あなたを目の前にすると、どうして私は私になるんでしょうか。山。誰といるより誰になるより、いつも確かなのは山。そこから反転する私。すごく確かだ。悲しい。私はあなたのはずなのに。だけどあなたが、まだ帰ってこないように、私の背中を押しているのもわかる。私は、これが愛だと知ってる。山。あなたと私は本当は一つなのに、一つであることだけが、愛ではないこと。木はあなたに根を落ろしているのに、川はあなたから生まれるのに。私は流れ流れて遠くへ行ってしまった。勢いづいて、夕飯を全て吐いてしまう。泣くことと、吐くことは同じ気がする。感情が出ていくのに、排出する力が追いつかない。我ながら赤ちゃんみたいな体だよなと思う。夫は何も言わずに星を数えてる。泣き疲れて、ふうっと抱きつくと、何も言わずにぎゅーっとする。夫の匂い。我が家の匂い。私の帰る場所、私が還る場所。山と夫とをいつも行き来している。だから人間でいられてる気がする。夫がいなかったら死ぬのは私。

 

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2人で見た剣山