弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

クジラの目のうさぎ

ぽこちゃんが壊れた夢を見たことがある。ぽこちゃんは我が家のうさぎ。夢の中でぽこちゃんはぬいぐるみになっていて、手とか足から真っ白なわたが飛び出て、私は絶叫した。目が覚めて、襖を開け、ドキドキしながらぽこの部屋を覗くと、たっぷりしたマフラーみたいな首に顎を乗せて、スヤスヤ寝ていた。私はホッとしたけど、その後もずっとドキドキしていた。そのことは夫にも話せなかった。口にしたら、現実になりそうで怖かった。

 

ぽこをお迎えしたのは、南阿佐ヶ谷にある「らびっとわあるど」といううさぎの専門店で、夫がネットで探してきた場所だった。川を挟んだ緑道ぞいに、大きなうさぎがたった姿で迎える看板があって、まるでそこだけ不思議の国のようだった。店主はますみさんといって、真っ白な肌につぶらな瞳、本人がウサギのような顔つきをしている。夫いわく、「お店の中でうさぎにまつわる講座をしていたり、環境も緑が多い場所で、とても良心的な感じがする」とのことだった。もともと、里親としてウサギを迎えようとしていたのだけど、一度も飼ったことがないと里親になれないとのことで、ペットショップで飼うことになった。それならなるべく良心的なお店で迎えよう、と見つけたのがこのお店だった。

 

当時は恵比寿に住んでいたので、南阿佐ヶ谷までの道のりは、ぽこ同伴では遠かった。それでも時間を見つけてはレンタカーを借り、ぽこを連れてますみさんに会いに行った。お店には看板娘のももちゃんがいて、実はぽこと姉妹。真っ白なももちゃんは性器に難があったため、ますみさんが引き取ることになった。ぽこを迎える日、ますみさんはぽこをぎゅっと抱きしめて「あなたは特別な子」と囁いたのを覚えている。多分すごく、泣くのをこらえてた。

 

夫も私も、ますみさんの、どこか話しやすくて、境のない言葉に惹かれていた。当時会社員だった夫は、社内の明かりがLEDになってから急速に目を痛めていて、繊細なつくりでできている自分の身体に戸惑っていた。それを聞いたますみさんは、「ぽこの感覚に近づいているんですよ」と言った。うさぎは犬や猫に比べて、ペットとして飼われた歴史が浅い。彼らの感覚は森の中の記憶をまだまだ強く持っている。一緒にいるうちに、私たちも、どこか森の中で暮らしているような、野生を取り戻していくんですよ、と。夫は、ますみさんの言葉に大いに救われ、のちに彼なりの考えと決意のもと、退社するに至る。

 

ある時、夫はぽこを連れて、「らびっとわあるど」でのうさぎ講座に出向いた。獣医の先生が、ウサギの体にまつわるあれこれを教えてくれる。その日の帰り、夫は嬉しそうに、獣医さんがぽこを見て言った一言を私に教えてくれた。「ぽこの目は、ウサギの目じゃない。クジラの目」。実は私の母も、ぽこを預かった時に全く同じことを言っていた。「ぽこは不思議。気配だけ感じていると、こんなに小さい生き物じゃないの。あれ、何か大きなものが後ろにいる、と思って振り返ると、ぽこの目が、クジラの目なの」

 

そう言われて、改めてぽこの目を見る。吸い込まれる、とはなんども思ってきたけど、そうか、クジラの目。思慮深くで、深い深い、静かな目。ああ、だからぽこを見てると、こんなにも落ち着くのか。私はいまになって初めて、ぽこの神秘を見た気がした。そしてももちゃんにも、同じものを感じた。そう思って、ますみさんと話してみると、ももちゃんが普段、どんなに多彩なコミュニケーションをますみさんに投げかけてくるかを、嬉しそうに話してくれた。その幅広さ、ますみさんの微細なアンテナを受け取って、また私はぽこに向き合った。

 

ある日、私はますみさんに言った。「ぽこが壊れた夢を見たことがある」。そう言うと、ますみさんはふっと黙って、「どうしてそんな夢を見たのか、考えてみるのもいいかもしれないね」と言った。私はずっと蓋をしていた扉を開けるのが怖くて、その怖さを、自分が、ちゃんと育てられていないような自信のなさからくるのだ、それをますみさんに見透かされるのが怖いんだ、そんな風に考えて、結局また、蓋をしてしまった。

 

その扉が、ついさっき、不意に開いてしまった。2年越しくらいで。仕事の休憩のつもりで、畳に寝転んだ。ぽこが駆け寄ってくる。心の中で、いや、胸のちょうど真ん中あたりを開くようにして、(この扉が、最近どんどん開いているのを感じる)そこから言葉をぽこに送ってみた。するとぽこの返事が返ってくる。これまでもぽことお話ししてきたつもりだったけど、もっと深いところで、ぽこの言葉を聞いた。いや、正しくは、ぽこの感覚がすっと入ってきた。それを私の胸の扉から吸い込み、身体の中で言葉に置き換えた時、こう聞こえた。

 

「いまがいっぱい」

 

ボロボロと涙が出てきた。これがぽこの景色。ぽこの世界。ぽこ、私はぽこがいなくなるのが怖くて、時々、あなたが寝ているのか死んでいるのかわからなくなって、動悸がするほど。あなたがいなくなってしまった時のことを想像して、何度もかき消すの。思ったらそれが現実になる気がして。私は、想像したことが現実のものになる、そういう景色をみていくうちに、本当に起こってほしくないことが不意に湧いてくることへの恐怖をどんどん太らせてしまった。そういう時、ぽこをみるのが怖い。あなたはふわふわしていて、いつも全てが真新しくて。その深い目で、きっと私や夫が思うより、ずっと多くを感じている。そんな世界の中で、ぽこにはいつも、いま、だけ。いまが、いっぱい。驚きと平和に満ち溢れたいまが、ぽこをいっぱい、包んでいる。ぽこはそれを感じて、いまがいっぱい。

 

ぽこは、いまが、どれだけいっぱいあって、色とりどりなのかを、いつも教えてくれる。私はとても愚かで、いろんな恐怖に足を取られて、そのいっぱいあるいまを、たくさん見逃している。でも、夫が、ぽこといるうちにあらゆる感覚を開花させて、自分の野生を大事にして生きることを創ってきたように、私もぽこといることで、野生がそばにあることで、ずっと支えられてきた。あなたの、いっぱいの、いまに。私の胸の小さな扉を、開けてくれたのはぽこ。やっぱりあなたは特別で、あなたの目は、遠い記憶を呼び覚ましてくれる。

 

ぽこ、私の大切な胸の扉を開いてくれる、森の使者。

私のいっぱいのいまと、ぽこのいっぱいのいまを、これからも重ねて。

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ちなみに、ももちゃんにマウントされるぽこちゃん↓

こうして大人になっていくんである。

 

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