ウミガメの目に見たもの ハワイ島にて
胸の真ん中に詰まりがあるのに気づいたのは、昨年の12月ごろ、伊勢を旅している時だった。それははっきりと痛みを伴うものではなく、もっと深くに沈んでいるものだったから、最初はぼんやりしていた。
ところが時間が経ち、新しい出会いや引越しを経て、ここ5年ずっと悩んでいた身体の悩みから徐々に解放されてったあたりから、「いよいよ僕の番ですな」と言わんばかりに、胸の詰まりが、痛みをもって主張しだした。日常ではほとんど忘れていても、それは夜毎、私の胸を苦しめた。激しい喪失感に襲われた。
それを繰り返し繰り返し言葉にしては、一体何が原因で、どんな過去によって、この詰まりができてしまったのかを探ってみるのだけど、一向に糸をつかめない。
そのころ、ハワイ島のキラウエアの噴火ニュースを知った。「これだ」と直感した。これ以上、あれこれ探ってもどうしようもないのなら、噴火後の火山に自分の体を重ねてみよう。そうすれば、この胸の詰まりも、噴火のようにバコーンと割れてくれるのではないか?
そう決めてチケットを取ってから、キラウエアにはペレという火山の女神がおはすのを知った。ネットで出てきたイラストを見て、彼女に引かれた。もともと溶岩流を見るのが好きで、youtubeなんかでもぼーっと眺めているのだけれど、そのイラストではペレの髪そのものが溶岩の流れを象っている。後になって、イラストは現地の歴史学者が描いたものだと知った。
とはいえ、噴火後のハワイ島ではナショナルパークも閉鎖中だし、あらゆる場所が立ち入り禁止だった。おまけに前日になって台風で関空が閉鎖した。それでも、なんの迷いもなかった。どんな形でも、ペレに会えると思った。
ガイドブックも買ったし、あれこれ調べもしたが、毎日の計画は、宿主のモーリーンのインスピレーションに委ねることにした。毎朝、モーリーンは朝食にパンケーキやキッシュを焼いてくれて、必ず今日のおすすめスポットを教えてくれる。彼女のレコメンド通りに遊んでいると、2日目、溶岩台地にたどり着いた。
溶岩に寝そべった。温かかった。いまでも、それほど深くないところに、何か流れているのを感じる。
でもこれでスイッチが入り、やっぱりどうしてもキラウエアに近づきたい思いが強くなる。そこにこだわり始め、少し息苦しくなった。
夕方、近くの入江へ行った。遠くで、夕日に照らされた雲が、赤く燃えていた。海水に足をつけると、近くの池の淡水が混じって冷たい。それでも岩から飛び込んで、夫と泳いだ。しばらくして、目の端で何か大きなものが動いた。
ウミガメだった。大きな、入江の主みたいなウミガメと、目があった。
彼は水中深く、砂をなでるように、とてもゆったり泳いだ。思わず手ヒレに合わせて、私も波をかいた。沖まで静かに泳いでいくのに、そうっと並んだ。あまり近づいてはいけない。というか、おいそれ近づけない畏怖が、その目にあった。それでいて、なんと静かで、温かいのか。
命の深淵。
薄暗い沖の方へ泳いでいくのを見送りながら、なおも胸の真ん中がとろけるように甘いのを、ふと、いま何かと繋がったのを確信して、その名前を心の中で呟いたとき、シュノーケルの中が涙で曇ってしまったのに気づいて浮上し、顔をあげると、空に虹がかかっている。それが、そのまま答えであると思えて、海から上がる。夫も、同じように胸に手を当て、
「ウミガメ見てから、この辺りがあったかい」
と、潤んだ目でそういった。その不思議な温かさは、その後もずっと続いた。宿に帰ってモーリーンに話すと、「I know」と言って、胸に手をあて微笑んだ。ハワイアンは、彼らを「ホヌ」と呼ぶらしい。
私たちはモーリーンのインスピレーションがますます楽しみになった。
そして、素晴らしく巨大なバニヤンツリー(ガジュマルの木)と出会った。ガジュマルとは縁がある。彼らのそばに近づくと、不思議な風がふいて、葉が揺れ、空から光が溢れる。
彼らの力強い根は、そのまま土地の力を表現しているようで、土と空との間に象られるアートだ。自分の身体の半分が、人間ではないと思った幼い記憶が湧き上がり、「だとすればもう半分はあなたと一緒だ」、そう思えて、胸の真ん中から、熱いものが流れていく。呼吸が深くなる。
8日目の最後の日、私たちは古い溶岩台地をハイキングした。草原の先で、大地の裂け目と出会った。吸い寄せられるようにその裂け目に手を当てた時、思わず声がでた。
胸の真ん中に、これまで感じたことのないような、温もりと、爽快感があった。
風が通った。
振り返ると夫が、こちらにカメラを向けてニコニコしている。
私は思わず顔を覆った。大きな勘違いをしていたのだ。私は、大地の裂け目にこの身を重ねて、胸の詰まりが割れることを期待していた。それはとても乱暴で、どこか投げやりな期待だった。大地へのリスペクトも、自分の身体へのリスペクトもまるでなかった。それでいて、夜毎そこから溢れる痛みや変化を想像しては、恐怖する自分を責めていた。もはや痛みを覚悟しなければ、次にいけないとすら思っていた。
胸の真ん中の詰まりを溶かしたのは、ウミガメの目であり、バニヤンツリーの風であり、大地の温もりだった。それは甘くとろけるように心地よく、硬くなっていたものは自ら扉を開いた。そこに風が通った時、愛という一文字だけが浮かんだ。
同時に、これは人にも同じだ、と思えた。こじ開けるようにしても人には何も伝わらない。彼らのあり方にこそ、伝える者の姿勢があるのだと。それを、頭ではなく、全身で、身体の感覚として学んだ瞬間だった。
ハワイ島へ来る前日、東京での夜、私はある会話の中で「それなりに辛いこともたくさんあったけど、私は神様に愛されてる、という実感だけが、なぜだか生まれた頃からあった」と口にした。言葉にしてみるととても傲慢な気がしたが、それでも本心だった。そして、この実感はどうやっても人に伝わらない、というさみしさが、なぜだか懐かしかった。
それがこの実感なのだ。どうしてか私は、人に期待しきれない愛のようなものを、彼らから受け取ることを、幼いころからやってきた。寂しくてどうしようもない時、人の腕に抱かれることより、山に入ることを選んだ。そのことが、途方もなく孤独で、どうしようもなく満たされる。
私は、これから、もっと人と、ちゃんと繋がりたい。
その方法を彼らから受け取って、また人と人の間で、
この実感を、ちゃんと伝わるまで、諦めないでいたい。
夫はそういう私を見て、嬉しそうに笑っている。
ペレは、ハワイ島のいたるところにいた。