弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

災害と人 ハワイ島にて

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このはちみつボトルが夫そっくりで私とろける



ワイ島、一週間の滞在を経て、最後の朝。朝食をとりにダイニングへ行くと、昨夜無くしたイヤリングを、宿主のモーリーンが見つけてくれていた。レンタカーの下に落ちていたらしい。

 

朝食はワッフルかパンケーキ、たまにホウレンソウのキッシュと、毎食バナナとマンゴー。グアバジュースに紅茶は選び放題。夫がコーヒーをすぐ胃に入れようとするのを遮り、先にグアバを飲ませる。日本人の私にはボリューミーな朝食だけど、午前から海に入ったりハイキングしたりしていると、あっという間に消化してしまう。

 

目の前のカーテンがふくらむ。「ハワイ島はどうだった?」とモーリーン。私たちはこの一週間、行程のほとんどをモーリーンのインスピレーションに委ねた。「海はハリケーンの風が残ってるから、レインボーフォールズに行くといいわ」とか、「ブラックサンドビーチがいいわね」とか「今日はヒロでファーマーズマーケットがあるわ」とか。そしてそのどれもが夢のような時間だった。

 

「ハワイ島は自然が豊かで、人々も親切で、とても好きになった。私は自然が好きだ」と答えると、モーリーンは満足そうだった。「そうね、ホノルルみたいにせかせかしてないし、とてもゆったりしているわ。もちろん、都会は優秀なドクターがいて、とても便利だけれどね。私はここが大好き」。「そうだね。ハワイアンは、自然をとてもリスペクトしてるね。それが伝わる」と言うと、モーリーンはさっきよりもまた強くうなずいた。真剣な眼差しだった。私はまた、ちょっと泣きそうになった。

 

ていうか、私の英語って中学赤点レベルなんだけど、なんでか「すごく言いたいこと」とか「すごく聞きたいこと」があると、その気持ちが言葉よりも一歩前に飛び出て、それを彼らが真剣にキャッチしようと集中しながら「君が投げたいボールはこれだね?」と手のひらに乗せて見せてくれた時、「ああ、伝えるってこういうことなんだ」と実感する。時折言語を超えたところにあるボールがお互いの胸の真ん中を行き来してるのがわかって、不思議な気持ちになる。

 

私には知りたいことがあった。

 

それは、ハワイ島の人々の、災害に対する姿勢や思いだった。春に噴火したキラウエアは、現地では女神のペレとして崇拝されている。実は富士山(および麓の浅間神社)では、同じく女神の木花佐久夜毘売が祀られている。ただこれらの神はベクトルが違うのが興味深い。木花佐久夜毘売はあくまで噴火を沈める神だが、ペレは、静まっている時も噴火している時も彼女の姿そのものとして崇拝される。よって、ハワイアンにとっての「ペレ」はより暮らしに身近な存在なのだと予想する。

 

それは、今でも年配のロコが「オヘロ・ベリー」という赤い実を食べる時、まずペレに一粒備えてから食べる習慣が残っているとか、固まった溶岩から生える髪の毛のような糸を「ペレの髪の毛」と名付けているところとか、彼らの生活習慣の中にそれらが染み込んでいることでも良くわかる。アニミズムが強く息づいている。

 

残念ながら、私の英語力ではそれらを十分に聞き取ることはできなかったけど、国立公園が閉鎖中のためデパート内でオープンしていたナショナルパークショップの日本人スタッフの女性との会話や、そこで購入した資料や、ドライブ中に見える光景、ロコとの何気無い会話、ウミガメと泳いだり溶岩を歩いたり星空を見たりと、島全体で遊んでいるうちに、何か確信めいたものが胸の真ん中あたりに広がっていった。

 

ここは息がしやすい。

 

翻って、私は何に対してそんなに、息苦しかったのか?

 

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ヒロにあるコインランドリー

ワイ島最後のディナーを夫と楽しんだ後、ダウンタウンにあるコインランドリーで、大量の着替えを洗った。室内はクーラーが効きすぎてとてもいられないので、私は外のベンチに腰掛けた。隣ではロコらしき白人男性が、お疲れなのか口をがあっと開けて上を向いて寝ていた。山手線でよく見るやつだった。

 

この日は休日で夜まで遊んだので(平日夜、私と夫は日本時間に合わせて仕事をしている。日本との時差が19時間とほぼ逆転してるので、夕暮れまで精一杯遊んで、夜はオンラインで作業をするのだ)、私ももうぐったりだった。うとうとしていると、隣の男性から「sister?」と声をかけられる。「俺、いつから寝てた?」

 

「30〜40分かな」と答えると、彼は寝ぼけたまま腕組みをした。子連れのロコ女性がやってきて何か談笑している。この時点で、彼はやばいやつではなさそうだと判断し、「Hey」私はまたベンチに深く腰掛け、話しかけた。彼は40代のロコボーイ、移民2世で、血はブラジル人。奥さん日系人だが日本語が話せず、自分も日本には行ったことがないという。なんだか話しているうちに盛り上がってきて、私は「Bigisland(ハワイ島の現地の呼称)はどう?」と聞かれた流れから、聞きたかったことを恐る恐る聞いてみた。

 

「ハワイアンは、この間の噴火のこと、どう感じているの?」

 

彼はすぐさま、「ハワイアンは自然をとてもリスペクトしている。だから、災害に対して過剰な恐れは持たないよ。僕は被害にあった住民ではないし、レイラニやプナの住民たちの思いを測り知ることはできないけれどね。ただ、日頃から自然と付き合っているんだ」と答えた。

 

なんだか泣きそうになる。今泣くところじゃない。涙腺が不便だ。引っ込めって。

 

「少しわかる気がする。私は大きな地震によって、暮らしが困難になるのを経験したことがある(中越地震)。それは恐ろしかったけど、私の目を覚ましてくれた。私が生きてるのはコンクリの上じゃなく、大地の上だと」

 

人間の暮らしには、もともと限りがあるのだと。

 

彼は真剣に頷く。

 

「日本は災害がとても多い。それは自然が豊かな国だからだ。津波も噴火も地震も多く経験している島国で、ハワイ島と似ている。けれど、日本人は災害をただ恐れ、自信をなくしている。それは、自然と人が分かれてしまったせいじゃないかと、私は考えている」

 

なおもたどたどしく私が話すのを、彼は時折単語を入れてサポートしてくれる。

 

「ハワイアンは、ペレをリスペクトしているんだね。あなたたちのスピリットを心から尊敬する」

 

私はこのことをずっと伝えたかったのに、それを言葉にした時、場が白けはしないか、眉間にしわを寄せられないかがなぜだかとても怖くて、なかなかいえなかった。彼は「もちろんだよ!」と言った。私たちは握手した。

 

やがて夫が、主婦さながらに洗濯物を抱えて出てきたので、紹介する。彼の名前はジョージ、夫はジョー。別れた後、夫は「ロコのお母さんたちに混じって洗濯物を畳んだよ。間違って人のかごを使っちゃって『私のだよ!』って怒られた」と何かニコニコしている。「彼と何を話してたの?」

 

私は「聞いて!!」と、車中で夫に興奮のまま一部始終を話した。それを夫はニコニコ聞きながら運転する。

 

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1990年、溶岩に飲み込まれた街・カラパナ。その上に建つ家々は、かつてここに住んでいた人たちが、新たに建てたものが多いという

ワイ島の神話を読み解くと、太古の昔、人がどう自然の威力と向き合ってきたかが感じ取れる。日本と同じく、ハワイ島には神様が多い。恐ろしい噴火に女神を見て、彼らと付き合うように生きてきたこの土地の歴史。自然を崇拝する心の景色には、災害によって傷つく人間の心に、安らぎを与えるものがあるように、思う。

 

災害に対して、冷静に、現実的に対処することと、そのための準備を日頃から行い、生活を守ること。それと、自然を崇拝、ないしリスペクトすることは、本来、同居すべきものだと思う。決して反発しあうものではないはずだ。むしろその両輪によって、私たちは自然と向き合い、災害を乗り越えていくことができるのではないか。暮らしを大地に委ね、同時に人間として自立することができるのではないか。

 

日本にいる間、ずっと感じ続けていた違和感。災害は敵。災害は悲劇。本当にそれだけなのか。この国は、自然と戦って生きるのか。自然と付き合って生きるのか。

 

今、私の生活に根ざした上で、自然をリスペクトする、とは、どのような姿勢だろう。

 

その答えの一端を、ハワイ島に見たように思う。

 

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一つ断っておかなければならない。彼はヒロの北にあるホノカアの住民で、噴火の被害にあったレイラニやプナ地区の住民ではない。本来なら、「被災したことへの感情」を聞くべき相手は被災した住民であり、またそれは非常にセンシティブなことだということ。(ただそのセンシティブさは、日本人特有の被災者への哀れみに対する同調圧力とは、ここでは異質なものだと私は感じる。現地で出会ったロコは、「日本の津波によって、ここにもたくさんの漂流物が流されてきた。君は津波を実際に見たか?」と聞いてきた。お互いに、敬意を持ってそこから何か学ぼうとするとき、これらに不快さはなかったことも、記しておきたい。同時に私が質問すること自体は、どこまでいっても自分勝手な好奇心にすぎず、今回は単なる幸運だったことも)

 

また、補足情報として、今回の噴火は居住地区で発生したもので、誰もが想像するような「山頂から溶岩が流れる」というものではなく、地面の割れ目から流れ出し、それが居住地区を流れ海に至った。また、それらは科学の力や道路の割れ目などで予測可能なものだったこともあり、住民は事前に避難していたので、噴火による死者はいない。

 

ワイ島は四国の半分くらいの面積があり、噴火で立ち入れない場所はそのほんの一部。そのため、ハワイ州観光局では観光になんら問題はないと呼びかけている。また9月22日より、ナショナルパークの一部が解放される。

 

www.allhawaii.jp