弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

夜のはじまりのオリオン(大沢温泉8日目)

この4日間、ずっと晴れてた。3泊4日で泊まりにきていた友人夫婦のうちの旦那さんが晴れ男で、二人が帰っていった今日の午後、幕を引くように細かな雪がちらついた。途端にまた眠くなって、見送ったあとふとんに潜った。二人はご近所さんなので会うのはいつも都内だったから、こうして岩手の山奥で会うのは新鮮な気分だった。

お互いに温泉で「フニャア〜」となってるので、なんだか会話もふにゃらけて楽しかった。ぐりとぐらみたいな、森の仲間たちになった気分だった。みんなでキャンプしたいなあ、なんてぼんやり考えたりした。食堂で話していたら後ろの席のじじばばたちが演歌を歌い出し、なんとも気分良さそうで、「あんなふうに付き合っていけたらいいね」なんてしみじみ話したりもした。

17時ごろ目が覚めて、炊き出し場へご飯と味噌汁を取りに行く。今日からまたひとりごはんかあ、と、部屋に帰って作り置きのおかずと一緒にもっもっ。隣の部屋から、なにやら雅かつ妖艶な音楽が聴こえてきて、いったいあと何日、羽生くんのフリープログラムが流されるんだろうと思った。やっぱ東北だからかな? いやリアルタイムで思いっきり応援してたんだけどさ。だから消費したくないのに。

食器を洗って返しに行くと、雪が止んでることに気づいた。こもりすぎると身体が鈍感になっていけないやと、ブーツを取り出して外に出た。ガラガラ。あ、青い。雪の匂い。土が雪を受け入れていくときの、透き通るような香り。月が銀色だ。上弦の三日月。

坂を上がって道路にでる。そういえば、通りから1本道を入ると、だたっぴろい平野の間にまっすぐ続く道を見つけたんだった。バスとすれ違うと、あたりが無音になった。光が月くらいしかないせいで、消防署の額についてる赤いランプがキーンと唸っているみたいだ。その角を曲がると、景色がひらけた。

なんて青いんだろう。私の足元から向こうの山の裾野まで続く道も、両脇に広がる雪原も、藍染めされたスカーフみたいに、夜のはじまりを吸い込んでる。根雪をふみつけきいきい鳴らしながら、ちょっともうごきげんになっちゃって、凍結した地面にブーツの底を擦って、スピードスケートの要領で一気に駆け抜けた。左に曲がると、林のなかに立派な古民家が見えた。

道端から見ている限りは明かりがない。表には軽の4WDがちゃんと雪払いされてとまってる。そうっと近づいてみると、どうやら玄関口は道路に面しておらず、左手側にあるようで、屋根から落ちた雪によってできた1メートルほどの雪の壁に、だいだいの明かりが照らされていた。

裏手の林が、家からどんな風に見えるのか気になる。でもこれ以上近づけない。雪上の足音は家の中まで響いたりするし、これほど人口密度がないとかえって人の気配に敏感でいるはずだ。屋根から滴るつららが朝日を浴びて光るのや、軒先の向こうが春を迎えるころ、土で濁った雪が林の影に残されているさまを、目をつむってしっかり味わわせてもらって、さっとその場を立ち去った。

細い道沿いに、山際に背を向けるようにして、民家がポツポツ立っていた。さっきまでまだ薄明るかった山の向こうは、もうみんな濃霧で覆われてる。オリオン座が真上にあって、対角線上の2つの星だけが、瞬きと金属音の間みたいな、音とも光ともつかない信号を花巻に送っている。

星座は規則正しく星を並べているようで、今にも消え入りそうな星をエイっと含んでいたりするから、座組み通りに機能しているのか怪しい。完璧なフォーメーションを装ってるけど、その輝きの差であらゆることが見えてしまう。

ああ、だからきっと、あっちの星から見たら私たちもそんなもんなんだろう。どんな関係も、肩書きも、立場も年齢も時空さえ、あっちから見れば関係なくて、ただ命を燃やしている炎が輝くのだけが、見えたり見えなかったりするんだろう。出会いは、その光の交錯でしかなくて、地上の名前をつけるには、あまりにも眩しい。

続く道を歩いていると、背後から車が走ってくる音がした。振り返ると、車はいなくて、雪原に突っ立ってる4本杉がざわざわ揺れていた。凍ったような風が、雪の上澄みを払って風に乗っけて、どこかへ連れて行こうとする。それは私の髪にもほおにも当たった。チクチク痛い。

引き返す道すがら、どうにも心許ないのは、広い平野にただ一人でいるせいではなくて、地の果てを指先で感じられていないからだと気づいた。どっちが日本海で太平洋なんだろう。方角を感じるのに、海を探す癖がついたのはいつなんだろう。さっきから色々なことを思いだすのはどうしてだろう。どうして散歩って、こんなに一人ぼっちじゃないんだろう。ずっと誰かと会話をしていたような気分で、その人と、手さえ繋いでいたような気がする。

やっと大きい道路に出て、大沢温泉の明るい看板が見えると、もうその感覚は薄れていった。