弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

愛を産む身体〜キャンプ死闘の夜に〜

 

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とっても素敵なキャンプライフの始まり、2018年の夏。糸魚川の高浪キャンプ場にて、山岳テントでデビューして、三条のスノーピークにて、思い切って買っちゃいました。ランドロックというリビング付き寝室ありの大きなテント。それを買った帰り、私も夫も、何か未来にキラキラしたものがたくさん待ち受けているような多幸感でいっぱいで、これからどこへ行こうか、誰を誘おうか、あのテントの中に何を詰め込むのか。もうウッキウキで、その夜はなかなか寝つけませんでした。

 

実はこの夏、中古でコンパクトカーも買いました。いつでもどこでもいける移動手段と居住空間を手に入れた瞬間、ガチガチになってた肩がふっと楽になった気がしました。いや「ふっと」なんてもんじゃありません。ガクッと力が抜けた気がしたのです。それですぐに気づきました。一箇所に留まれない自分にとって、車とテントというのは最強の精神安定剤なのであると。

 

コンパクトカーに、コメリで買ったBBQセットとか、椅子とかテーブル、クーラーボックスを詰め込んで、おまけに巨大なランドロックを入れたらもう後部座席フルフラット全開でもギリギリになりました。なんとか視界だけ確保して車を走らせます。初めてのテント、慣れないキャンプ。実は一足お先に私と友達とで一泊してたんですが、夫と初めての日、それはもう飛び跳ねる思いでスーパーへ行き、買い出しをし、キャンプ場へ向かったんです。

 

そのキャンプ場は沢の音が響き、サイトは白樺の木立に囲まれ、一目で気に入ってもう一泊することに。夜には仕事を終えた母も参戦して、バーベキューにキャンプファイア。広々とした寝室で三人ともぐうぐう寝て、2日目の夜。が今。

 

PCをテント前に持ち出し、スノーピークのほおずき(暖かなあかりのLEDライト)の下でこれを書いています。だいぶ端折るけど夫と喧嘩しました。夫はすでに寝ています。足元にはアボガドの皮が転がっています。さっき投げつけたやつです。寝る前には片付けます。

 

月が白くて青い。さみしいなあ。お互い感情的になったことは、お互いに謝ったの。だけど本題に、お互いまだ納得いってないの。

 

1時間前。私は一度、頭を冷やそうと母の家(キャンプ場から近い)に行きました。母には娘のぐちを聞く能力がないので(話聞いてない)、枝豆を食べてる横顔に「お父さん(離婚済)とお母さんって、喧嘩したら結構暴れた? 父がちゃぶ台ひっくり返してた記憶はあるんだけど」と聞いたんです。そしたら

 

「あんまり覚えてないし、手を出し合うようなことはなかったと思うけど、そういえばお隣さんがよく「仲介に入ったほうがいいんじゃないか」と心配するくらいやりあってたみたい、でもね

 

「弥恵ちゃんが生まれた途端、静かになったね」とも言ってたな、あのお隣さん」

 

と、自分ではなく隣人の発言をもとに記憶をたどる母。

 

「もうねえ、弥恵ちゃんの顔がこーんなちっちゃくて、それをお父さんと飽きずに毎晩、何時間も見てたよ。そんでふとお互いの顔をみると、「大きい!」って笑い合うの。赤ちゃんの顔を見慣れてくると、大人の顔ってすごく大きく見えるの」

 

その光景を思い浮かべていたら、なんども聞いた話なのに、不思議な気持ちになった。こんなに感情的な私が、感情的な夫婦をふっと穏やかにする存在だったことがあって、きっと私たちの元にも、そのうち、そういう愛が降りてくる。

 

「弥恵ちゃんは、お腹いっぱいになったらスコーンと20時には寝て、そのまま夜泣きもせずひたすら寝てる子だったから、お父さんとお母さんは夫婦の時間をたっぷりもらえたよね。深夜まで2人っきりでダンスしたな」

 

奈良県の山深い村に、移り住んだ若き頃の両親のエピソード。

 

そういうのを聞いてると、光景が点滅する。お母さんとお父さんが、ニコニコして私を見つめていた顔が。瞬きの間にいっぱいの真っ白い愛が広がって、自分の内側に、何か尊いものが温まる感じがある。

 

なんで車買ったんだろう、なんでテント買ったんだろう。それはただの精神安定剤なのか。一つ一つを選択するとき、不思議と子どもの顔を思い浮かべたような気がする。いますぐ子どもが欲しいとかそういう実感もなくて、何か計画的に行動できる人間でもないけど。

 

お父さんは小さい時にいなくなったし、自分にはもらうべきものがもらえていないような欠落感が、今も全くないって言ったら嘘になるけど。なんだけどそれ以上に、日に日に、幼い頃、私だけを毎晩飽きなく見ていた父の顔、母の顔がクリアに思い浮かんで、私には、どうにも愛された時間があって、それは暑い夏の午後、ひぐらしが鳴き出した瞬間に、幾年もの夏がピタッと重なるのと同じように、

 

愛された実感だけが、真空パックみたいに、たった今愛されているみたいに、それが確かに真実であるのを、受け取る私の身体がある。愛されたことの方が真実だと思えるのは、身体に染みる実感が、ぼんやりした欠落感よりずっと確かだから。

 

私の身体は、愛を受け取り、

愛を産む身体なんだな。

 

。。。書いてたら、なんか喧嘩のことがどうでも良くなってきた。