弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

地元と母とフジロック

 

f:id:yaeyaeyae88:20180901113338j:plain

夏が終わった。もうどこからどこまでが正常で異常な気象なのかもよくわからなくなってきたけど、今朝起きたら涼しくて、ちょっとお腹を冷やしてしまったくらいなので、とりあえず秋はちゃんとくるみたい、とホッとした。

 

今年の夏は、多くを新潟の実家で涼しく過ごした。クーラーが苦手な身として気温が選べる生活がありがたい。し、改めて自分の身体が暑さに弱く寒さに強くできてるなあと思う。8歳から18歳までを極寒の雪国で過ごした身体だもの。そんなわけで京都の夏にビビりまくって逃げてたんだけど、今朝こっち(京都)で起きたら涼しくなってた。

 

ちょうど実家に滞在していたころフジロックがあって、越後湯沢駅はスキーシーズン並みにごった返してた。駅にバーっと吊るされた赤いフラッグを見ると、いまでも何が起きるんだろうとワクワクした記憶が蘇る。初めてフジロックが湯沢にきた年、駅で働く母が「東京で騒音騒ぎになって追い出されたでかい音楽イベントが苗場にくるらしい」と興奮してて、先生とか大人たちが「東京から怖い若もんがくる」みたいなこと言ってて、部活まで休みになった記憶がある。

 

私はもう巨大な台風を待ち受ける気分で興奮してたのに、その日は何も起こらなかった。私は、苗場での演奏が湯沢町の空にまで轟くような光景を、なぜだかナイターの明かりでオレンジ色になる冬の空にダブらせてワクワクしてたんだけど、なーんにも起こらなかった。戦々恐々とした顔で家をでた母が「みんな礼儀正しい子たちだったー」「でも泥だらけで掃除が大変だった」とか言ってたくらいだった。

 

そら湯沢町からしても苗場って山の向こうだし、バスで4、50分かかるし、苗場の子たちも湯沢町にくるとき「湯沢に降りる」って表現するくらい標高が高いので、別世界ではある。それでも「東京中が地鳴りしたイベント」とか大げさな噂が飛び交っていたので、もう何が起こるんだろう!!と田舎っこはワクワクしますがな。

 

だから、私にとってフジロックの記憶は、越後湯沢駅の東口に、苗場行きのバスに乗る長蛇の列ができることとか、高校の帰りで駅のそばを歩いていると、なんかピアスがめっちゃあいた黒い服きた男女の集団に「この辺で美味しいそば屋ってどれ?」とか「ここら辺のこって何聴いてるの?」とか「これうちのバンドのフライヤー」とか話しかけられることで、それがちょっと嬉しくて楽しくて、フジロックの季節になると意味もなく友達と駅前をうろついたりしてた。冬になればボーダーがわんさかくるから賑やかではあるんだけど、夏の閑散とした時期に派手な若者がたくさんいる光景は、ずっと非日常だった。

 

高校生の頃はこの時期、苗場でバイトしたりした。俳優さんとかミュージシャンをいっぱい見られるだけでもう楽しくて、いま考えたらいそうもない真田広之月桂冠を片手にレジにくる姿を妄想してめっちゃ頑張ってアイプチしたりした。今は知らんけど当時はフジロックでバイトすればただで演奏が見られるわけで、妹なんかは上だけビキニでビールの売り子をして、元ちとせに号泣して帰ってきたりしてた。そんなわけで夏休みの部活がまた始まると、誰が誰を見たとか、そういう話でみんな盛り上がる。苗場の子たちは一家に数枚、チケットが配布されるらしくて、3日間がどうだったかを話してくれる。

 

母は今は駅ナカでは働いてないんだけど、今だにフジロックの時期になるとちょっと興奮してる。今働いている観光スポットには、フジロックついでの観光客がいっぱいくるらしくて、「ローラがいたから思わずハーイってハイタッチしちゃった」とかテンション高く帰ってきた。

 

ていうか、母は謎にフジロックの前夜祭に出演したことがある。1人で。若い頃から和太鼓をやってた母はいきなり町から「フジロックの前夜祭で太鼓を叩ける人が急遽必要で」と声をかけられ、はっぴを着て、櫓の上でひたすら叩き狂ったらしい。MCに名前を絶叫され、某海外バンドとセッション状態で一晩中太鼓を叩いて、その晩はトランスで全然寝付けなかったらしい。私はその時のことをいまいち覚えてないけど(多分家にいて寝てた)、後になってモバオクにはまった時、「あのはっぴ売れるんじゃ!?」と思って押入れを漁ったら、母がとっくに捨てていたのだけよく覚えてる。思い出は鮮やかに語るが、モノへの思い入れはなかったらしい。

 

今年は久しくフジロックシーズンをまたいだので、寝起きに駅に行ってみた。そもそもいつの間に、駅の中の本屋がアウトドアショップになっていたのか。たむろする客のコロンビアの派手なウエアも年季が入ってて、ちょうどフジロックから女性用アウトドアウエアが流行った流れで山ガールブームが勃興した2009年前後に参戦して、今は子連れ、みたいな人がすごく多かった。と言うか、当たり前だけど高校生の頃に見たときより、ずっと年齢層が上がってるように感じた。登山のアウトドアウエアはすっかりモノクロブームみたいになってるけど、フェスは相変わらず派手だった。そうだよな、これお祭りだもんな。

 

なんか夏をふりかえろうと思ったら、フジロックの話ばかりになってしまった。

 

 

f:id:yaeyaeyae88:20180901114126j:plain

 ちなみに滞在中、夫は温泉ばっか入ってる