弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

トランスからの自立

朝起きたら、どんなに面倒でも外へ出て、山辺の道を散歩した。神社で一人、深呼吸して、うろ覚えのラジオ体操して、杉の林の腐葉土に裸足を沈めて、「今日も文字通り地に足つけテイル、ワタシ」としっかり確認して家に帰る。もう毎朝納豆ご飯。ニュース見ながらガシガシかき混ぜて、図書館へ行き、受験生に混じって仕事するか小説書くかして、夕方には頭の半分を晩御飯に乗っ取られながら買い物して帰宅、母が仕事から帰ってくるまでに猛スピードでご飯作って、19時ごろには温泉いこうか本読もうか迷って22時には寝る。とにかくリズムを作って自走させ完走した夏。なんだか自分に自信がついた。

 

子供の頃から、通知表には必ず「他人の心がわかる優しい子」って書いてあって、自分では全くその自覚がなかったんだけど、とにかく「これはいいことなんだ」って刷り込みがあった。まあ、本当にエスパーみたいに人の心なんてわからないし、適切なアウトプットだってできないし、失言も多々で反省すること多しだけどね。ただ大人になって、「他人の心を無視できる力が足りない」と反省することの方が多かった。人の心がわかる技術とか力より、わからなくなる力の方が、いまでも自分には必要だと思う。

 

要はトランスが深いんだろうな。こないだ久しぶりにお酒を飲んだら、鈍感になるどころかものすごく冴えて参った。生まれつきのトランス値が高いというのかな。だから都会に住んでる時はいわゆる集合想念みたいなものが耳元でかかるラジオみたいに聞こえて辛くて、自然ばかりの場所にいるとすごく楽になるんだけど、それも続くとだんだん目には見えないものを拾い始めて、そういうスイッチをいかに切るかってことが長い間テーマでもあった。

 

それは言い換えると、トランスからの自立っていうのかな。もう私の身体をあけ渡さない。この世にたゆたうあらゆるもの、カラフルなもの、祈りでも呪いでも神様悪魔なんでもいいけど、とにかく自分を引っ張るものに対して、たとえそれが導くようなものであったとしても、偶然とは思えないシンクロめいたものでも、全ての引力、いいも悪いも全部からの、自立。

 

運命の引力と、私が自ら歩んで行く力の、ちょうど真ん中に立つ、自立。

 

何より、私が生きてるのは、まるで戦時中みたいな令和だし。

 やっぱり「次は方丈記ですか?」ってくらい時代のモードがいっそう厳しくなったし(戦後も東日本大震災も続きながら加速してく感ね)、私みたくトランス深い人間は、もう地面にのめり込むくらい地に足つけてないと、危ないのがわかるんだよね。

 

だから、

 

何をしてもどこに行っても私でしかないしどこまでも私、っていう私。

何が起きてもありのまま受け止め意味づけもせず、ただ生きる私。

私は器じゃない。入れものじゃない。私のなかにはちゃんと私がいる。

 

それをどう果たせばいいのか考え続けた末に、冒頭みたいな、とにかく生活にリズムを敷くこと。その全てを自分で選んで責任取ること。ここ5、6年意識してやってきたけど、この夏はもう受験生並に集中してやりこんでたら、結構自信がついた。そして、トランスって形で生活のそこかしこに飛び散っていた力が、小説一点に凝縮されていった。あとは毎日の料理かな。使うべきところを自分で選べる様になった。

 

なんかさらっと書きながら、私はこの夏、ずっと欲しかったものを得たんだなあってことに気づいた。

 

 

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アイスランドにて。毎晩、アイスランド関連の本読んでる。はあ。アイスランドたべたい