弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

生活から生えてくるアイデア

鈴虫にはいったい何種類いるんだろう。新潟では盆明けには鈴虫が鳴いていたけど、京都に帰ってきたらそもそも音色が違う。少なくとも平安京の人々が聞いていたのはこの音色なのかもしれない。こないだは満月がよく見えた。夫がベッドの位置を窓際に変えたので、二人で月を眺めた。たなびいた着物の袖のような雲の向こうで、月が流れて、また出てきて光ると、京都で見る月はまるで羊羹のようにねっとりしてると思った。

 

***ゴッホ

 

ゴッホの映画が上映されるらしい。これを書いている最中に友達がラインで教えてくれた。まだ事前情報をきちんと読んでないけど、絶対に見ると思った。そういえば、6月のフランス旅は今思えば完全に「ゴッホ旅」だった。彼の足取りを追ってくうちに、気づいたら自分とゴッホの境もわからなくなってた。

 

帰国して、そこで感じたこと、あちこちで起きた偶然性に引きずられ体内で導き出した答えを、(私がオルセーでゴッホの絵を見て泣いた日、彼が自殺に使ったとされるピストルが競売にかけられたニュースが世界中を巡っていた)、彼に世界が「どう」見えていたのか、彼が死を「どう」迎えたのか、オーベルジュの麦畑に寝そべって、自分の体で導き出した答えを、意気揚々とブログに書こうとして、結局かけないまま終わってたんだ。(次に向き合うべきことがどんどんきちゃって、モードを戻せなかった)

 

私は、彼は自殺もしなけりゃ耳も切ってないと思う。そんな景色はどこにもなかった。無心になって、ただ彼の絵と、描かれた景色や街を、彼の目で見て歩いたら、自殺に結びつくものはなかった。そこにあるのはただ無数の命で、子供のように驚き感動する眼差しだった。そこには、天才神話によくあるような「狂気」という時代遅れのロマンチック願望が介入する隙間なんてなかった。正気で、力強く、澄んだ世界だった。

 

***小説のこと

 

新潟の実家あたりにはなかった本が、ここではいくらでもある。京都市内の図書館か、府立図書館、それでもダメなら国会図書館へ行けば、大抵の本にはありつける。8月12日に小説の初稿を終えた。考えずに書くために手書きで書いた。考えずに書いたので、調べ物が必要になってくる。第2稿はPCに書き起こしながら、調べ物をして、モノクロの絵に色付けをしていく。それにしても歴史ってものは、真実ではなく共通言語として認識した方がいいのかも、と思えてきた。やはりタイピングは頭を使う行為だと思う。使っている脳の箇所さえ違っている気がする。

 

***仕事のこと

 

8月からずっとルーティン。生活の中から、仕事も小説も生えてくる。数日後には、夏の間手伝っていたビジネス本が発売される。題名はディープテック。温暖化や途上国が抱える問題など、解決すべき社会課題を、当事者たちのアイデアとAIなどの最先端技術で乗り越えるムーブメントが、主に東南アジアを舞台にグローバルで広がっている。これに対して技術国・日本はどう向き合うべきかをまとめた本だ。著者はいつもお世話になっている尾原さんと、リバネスの丸さんのお二方による構成。私は2、3章を担当させていただいた。予約時点で、すでにアマゾンカテゴリ1位らしい。

 

さてこの本を手伝いながら、私はつい「そもそも社会問題とは何か」についてじっと考え込んでしまった。例えばネットフリックスで再開された恋愛バラエティ番組「あいのり」では、各国を旅しながら同時にその国の事情について学習する2部構成になっていて、例えば前シリーズならキルギスの花嫁について扱っていたりする。これらの「問題」に対して、参加者はあらゆる反応を示す。

その度に、目には見えない淵が、広がるのが、見える気がする。この、問題の当事者と「反応する人たち」の間にある、問題認識の淵を、どう埋めていくべきだろう、なんてことをぐるぐる考える。そんな思考に、新たな角度をもらえた仕事だった。

 

***なんでもないこと

 

友人宛のメールもブログも、実際に送ってるものの8倍くらいは、書いたまま送ってないし載せていない。ブログはもっとかな? 書いているときは送るつもり、載せるつもりで書いているのだけど、「書いた」こと自体に満足できて、自分の手を離れる必要がないなと思えることの方が、圧倒的に多い。なぜなら私は「書きたい」のであって、それによって思考を深めていたいのであって、誰かとコミュニケーションを取りたいわけではないのかも、と思うことが多いからだ。

 

会話を、壁打ち前提でしあえる友人は何人かいる。前提があるから気軽だ。私も壁になる。


編集者とか、仕事相手とか、生産することが前提の相手だと、ほとんど暗黙の了解でこの手の会話をする。でも、やっぱりたった一人で深めるのも楽しんだよなと思う。だもんで、私は異常なほど独り言が多いらしい。

 

生活の中から、生み出すことが今の私のテーマなんだな。ということがこれを書いていてよくわかった。はて、私のこの独り言は誰の何のためになるのだろう。このブログは載せようと思う。

 

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オーベルジュにて。ゴッホが描いだ麦畑の中で。ちなみに自殺ではないがアル中ではあったろうなとは感じた。