弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

河童心を守りゆく

長時間パソコンを触れないことを友人にぼやいたら、「前々から思ってたけど、弥恵って絶滅危惧種みたい」と言われた。ちょっと前にも「水が綺麗なところにしか住めなそう」と、仕事相手に言われて、少なくとも初期設定は非常に水の美しい場所で、10代は雪解け水に育てられたので、あながち外れてはないのか。とも思う。

 

先日、小説の編集さんと会った。場所は京都にある聖徳太子ゆかりの六角堂近くのスタバ(ガラスの向こうに思いっきり寺院が見える)にて。話の流れから、私は彼にこんな質問をした。「Yさん(編集さん)って、自分自身で作品作ろうとかはあんまり思わないんですか」。彼はそうですねえと笑って、「全くないわけじゃないですけどね。でも僕はそれ以上に面白いものを読みたい方だから。あとあれかな、絶滅危惧種をみると守らねばと思うんですよね」という。

 

「私は絶滅危惧種なのですか」

 

というとなおにっこりする。

 

「Yさんの周りに、私の仲間はどれくらいいますか」

 

と聞くと空を見て、「弥恵さんと同じタイプだと、後1人かなー。別ベクトルだともう数人ですね」と指を折る。FBでの繋がりがだいたい5、6千人、と仮定した上での数字だった。少ないもんだな。

 

どうもこう、私は厚かましい性格らしくて、思いっきり他者に否定されても「えっ私が変なんじゃなくてあなたが変なんじゃない?私はこれがふつー」」とか「我こそ王道なり(ドーン)」と思って生きてきたのだけど、30も超えてくると、案外はみ出していたことが何と無くわかってきた。しかも絶滅しかけてた。ちょっと笑える。

 

それで子どもの頃、(私は河童なんだ)って思ってたことを、ふと思い出したんだよね。

 

昔から引越しがすごく多くて、なのにどこに住んでもそばに川があった。恵比寿にいた頃でさえ、渋谷川が側にあったし(そもそも渋谷は暗渠が多い水の街だ)、今も歩いていける距離に、夏は蛍が飛んでるくらい澄んだ川がある。子どもの頃は転校するたび心細さがあったけど、明るい性格だったもんだから学校ではうまくいってた。でも家に帰るたび、「うまくいっていること」への妙な不安がいつもあった。それでしょっちゅう川のそばを歩いたり、小石を投げたりして遊んでたんだけど、なんか学校では感じ得ない、満たされるものがあって、「あれ、私、家より学校より、川が好きかも」と思うたび、「自分のこと、人間なんだって思わなければ楽だ」とか考えてた。

 

だから私は人間ぽいけど、本当は河童なんだって思ってた。本当は川に住んでるんだけど、訳あって人間のふりしてる河童。そう思うと呼吸が深くなった。奈良の山奥から新潟の田舎に引っ越したあとのことだった。山奥ではそんなこと考えなかったけど、人里に越した途端、なんとも言えん違和感がずっとあったんだよね。ここは自分の居場所じゃない、みたいな。

 

それで「きっと学校ではみんな楽しそうだけど、家に帰ったら河童心が溢れて、切なくなったりするんだ」とかぼんやり思ってたんだよね。「駅前の子たちは、川が遠いからさぞ悲しかろう」みたいな。今思えば自分の絶滅感を、「みんなもどこかで同じ」と思うことで、大多数に飲み込まれないように維持してたのかもしれないけど。

 

少なくとも、そういう「河童心」は誰でも持ってる、と、いまでも思うんだよなあ。人と相入れないもの。みんなにはできて自分にはできないこと、自分にしかできないこと。自分だけに見えるもの、聞こえるもの。ただ、人との違いや心もとなさを、消していくか、消さずに残していくかで、仕上がりが変わってくる、ってだけの話で。私はただ、自分でいることに全力出して生きてるから、絶滅感がより濃く出てるだけで、案外みんな絶滅危惧種じゃねえ?なんて思ってる。

 

だもんで(?)、嵐解散、時代だねえ。大野くんは河童心を守れてよかったなあ。ファンでもないのにあれですが、河童心が暴走する(ないしはなくなる)前に、心をしっかり守って強烈な仕組み枠組みの中で決断していく様は、多くを刺激するんだろうなと見てて思った。

 

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屋久島の神様の山にて。河童心充電中のわたくし