弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

静かな欲求の階段を

ゴミ収集車が流すメロディにハッと起きて、リビングの時計を見たら9時が崩れてる。頭の中ではゴミを出さなきゃと考えてる。体はもう一度布団に潜る。ああ、9時が崩れてるときはだいたい8時代だ。まだ大丈夫だ。

時計の針を見て一瞬で時間がわからない。未だに右と左もパッと出てこない。てかパッと出てくるとだいたい逆。身体は世界の記号に合わせて、そんな都合よくできてない。

夫が出張で東京に滞在していて、その間に東京の友達が泊りにきた。おとといのこと。下鴨神社で待ち合わせすると、前にあったときより一回り痩せて真っ白な肌のその子が、「わあー」と手をふっていて、なんだかお花みたいだなと思った。

2人して寝不足で、ゆっくり過ごそうよと、茶屋で近況報告をしあい、彼女が友人に勧められたという絶品カレーを食べに岡崎へ自転車を飛ばした。

私は案内するどころかむしろ彼女に案内されるようにして、吉田神社に行ったり、山頂の茂庵でご飯を食べたり。翌朝起きたら声がかすれていた。とにかく喋った記憶がある。

何話したんだっけな。28歳の彼女もまた東京を出ようとしていて、「出よう」と思ってから「出る」までのプロセスを、お互いに照合しあったのだった。こうして振り返ると、東京で得た縁と経験は、大きいよね、それがあるから住みたい場所に住めるんだよね、と。

得た経験を一度に書けないけど、例えば欲求の消化もその一つ。

わかりやすく例えるなら、ブランド物を身につけてみたいとか、きらびやかな世界を見てみたいとか。女性なら一度は夢見るような、雑誌から飛び出す人に自慢したいような欲求。恋も仕事もファッションも全部。それらを半ば手短に消化するようにして、10代、20代がすぎていった。

それが「手短」になったのは、明らかに縮小していく時代とその欲求が合わなくなったからだ。頭では「これって空虚なんだろう」とわかってる世代。

それでいて、「でも手にしてみないと気が済まない」のが私たちだった。ならもう、手短にやるしかない。時代は加速してるから。欲求は、それがどんなに時代に合わなくても、消化しないと身体は満足しないから。

だから、あれもこれも、我慢しないでよかったなあ、とも思う。東京でやりたいこと、東京でしかできないことを、みんなやりきった。そして元来私が蓋をしないのは、完璧に親譲りだ。

私が生まれる前、バブル全盛期、両親は渋谷区から奈良の山奥へ移住した。言い出したのは母だった。

2014年、私と夫の結婚式では2次会を設けず、四方に甘えて、両親が離婚して以来、初めて全員揃ってお茶をした。

「なんであんな山奥に移住したの」と聞くと、父は当時を昨日起きたことのように語った。「お母さんはね、奈良に住むと言い出して、もう聞かないんだよ。そうなったら、そうするしかないでしょ」

父は、突如として母に湧き上がった欲求は、湧き上がった以上消化させる以外に方法がないのだ、と振り返った。つまりこの人は、母に蓋をするということがなかった。それは父が、蓋をしない人だったからだ。だから離婚した。

そうか、気がすむように生きたのだな、と、本当にいい両親の元に生まれたのだと思った。おかげで私は、のびのび生きてる。2人が別れることを「我慢」していたら、今の私はいないのだ。