弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

見えない緊張と、空白の力

伊勢・熊野からの帰り、レンタカーで自宅へ向かう途中、突然胸がキューッとした。西日に照らされるオレンジ色の鴨川。車が進むごとに痛みが増していく。

今回の紀伊半島の旅は、やっぱりこれまでと違った。東京から通っていた時は、何を見ても背中に切なさが少しあって、それが余計に景色に彩りを与えていた。私はずっと焦がれていた。

だけど、京都から車で向かう伊勢熊野は、これまでよりずっと身近で、気軽にこれることの実感が返ってわかなくて、嬉しい気持ちと、終始ぼんやりした感覚があった。

それが突然、京都市内に入り、自宅近くまできて、どうしようもない切なさにかられた。伊勢が、熊野が恋しい。東京へ向かう新幹線の中で感じていたのと、同じような気持ち。だけどどうして急にこんな心地がしてきたのかわからなくて、それを言葉にできなかった。

今日、図書館へ本を借りに行った帰り、突然の豪雨に見舞われた。慌ててアパートまで走ると、びしょ濡れになりながらゆっくり歩いていくおばあちゃんの背中が見えた。多分近所の人だろうと思って、家まで傘を取りに走って、おばあちゃんに入ってもらった。どうやら斜向かいのお家だったみたいだ。

振り返ったおばあちゃんが満面の笑顔で、「おおきに、ほんまありがとう」と繰り返した。途端に私は、すっと肩の力が抜けたような気がした。帰宅すると、出張中の夫から電話があって、いまさっきの出来事を話しながら、ふと気づいたことがあった。

斜向かいのおばあちゃんは、毎朝、家の前をほうきで掃き掃除している。そのことを京都出身の人に話したら、「京都の人は隣二、三軒まで掃除するように育てられる」と教えてもらった。確かに私の住んでいる地域はゴミひとつ落ちていない。綺麗な道路、それを毎日掃除する人たち。

そのことに、どうしてか緊張した。そういえば今まで住んだ地域ってどうだったのだろう。「今まで」って、私はもう20回以上引っ越しをしてきて、一箇所に3年くらいしか住んだことがない。ていうか一軒家に住んだこともほとんどない。雪かきってどうだったっけな、でも隣の家の分までしろ、とは言われなかった(隣が遠い、ってくらい田舎だったのもある)。

別に私自身が、掃除をすることを強制されている訳でもなく、そもそもアパートの住人は誰も掃除をしていない。定期的に業者さんがやってくれている。当然、管理費を払っている。誰に責められているわけでもない。なのに、どうしてか緊張した。

というか、私はこの、毎朝掃除をしているおばあちゃんの顔を知らなかった。毎朝、規則正しく「さっさっ」と地面をする竹箒の音、その迷いのない音に、私はなぜか後ろめたい気持ちがあった。私は掃除そのものではなく、地域の暗黙の了解に、どんな態度でいたらいいのかがわからなかった。

私は、緊張していたんだ、と気づいた。伊勢熊野からの帰り、突然切なくなったのは、旅の間、心底リラックスしていたからだ。旅は無責任だから。暮らしは、責任だから。引っ越ししてしばらく続く、この手の「自覚しにくい緊張」はよくあることだったけど、やっぱり関東から関西ってだけで、随分いろんなことを警戒していたのだ。

正直、今の土地と暮らしは、かなり私に生きやすい。自然と文化と信仰、私を構成するものが揃っていて、随分呼吸が深くなってる。毎日が楽しくて、時間の流れも変わった。充実した日々のなかで、かえって緊張していたことに、気づけないでいたのかもしれない。

そして不思議なことに、案外にまだ緊張している、ということがわかって初めて、力が抜ける感じがあった。

そんなことを終始夫に話しながら、「そこまでわかったら、なんか楽になって。だってもうあとは、時間の流れに任せるだけなんだもんね。今までも、ずっとそうだったって、思い出した。1年、2年たっていくごとに、いやでも慣れるんだもん。だから緊張してるうちに、新鮮な感覚があるうちに、色々記録しておこうと思ったよ」なんて頭の中を整理する。

斜向かいのおばあちゃんは、前がまん丸くて、思ったより丸顔だった。背中しか見たことがなかったその顔を、私はなぜか細目できつね顔だと想像していた。

空白を、そのまま空白でそっとしておく胆力が欲しい。なんでも想像で埋めてしまう癖をやめたい。私はどこかせっかちなんだろう。だけどもう、時間の流れという空白の力を知ってる。それがわかるくらいは、余裕が出てきたんだろうな。経験を重ねるって、力だな。